兼務神社の由緒

千塚八幡神社



千塚八幡神社鎮座地 山梨県甲府市千塚3-5-1 ≫Googleマップ
御祭神 帯中日子尊、誉田別尊、息長帯姫大神
例祭日 8月1日・10月17日


◆由緒

古く帯那村八王子山にあり称徳天皇の神護景雲3年(769年)この地に創建、母子信仰の神として崇敬を集め栄えたという。
後一条天皇の長元3年(1030年)甲斐の守となりし源頼信が社殿を造営祈願の誠を捧げる。
以来甲斐源氏の武田氏は代々本社を氏神として篤く崇拝し信虎は飯田河原・上条河原の合戦の際は、ここを本陣としご加護のもとに大勝を収め、益々深く崇敬し太刀その他多くを奉納。信玄も之に劣らず度々の寄進にて社殿は壮麗を極と伝う。
武田氏没後社運衰え大破に至るが元禄16年(1713年)より八ヶ年の努力にてよく今に伝わる社殿建立。
徳川幕府は御朱印地2石6斗余りを寄進。目付入国の折、本社に参拝することを例規とし平岩親吉奉納三十六歌仙などを残す。
されどその古書類燃失の為明治6年の制には村社にとどまる。
昭和34年8月台風にて激甚災害をうけしも、昭和36年氏子の赤誠あふれる協力により往時に劣らぬ社殿境内を復興整備され、社頭愈々古社の風格を加う。

◆社殿

屋根は幾度か葺替えられてきたが、社殿の改修は元禄16年正月に起工し正徳3年8月に落成して以来改築の記録はない。

◆十二支灯籠

千塚八幡神社社殿に向かって両側に6基ずつ十二支灯籠が並び壮観である。
最初の子と丑が安静3年に、続いて干支にあたる人が数人で数年かけて奉納したものと思われる。石工も複数人で造ったことがノミの状態などからわかる。その後何回も被災したがその都度見事に修復委され現在に至っている貴重なものである。


◆石鳥居

明暦2年(1656年)5月25日付で森沢源兵衛氏寄進によるもの。鳥居正面の扁額「八幡宮」は八ノ宮良純親王の書と伝えられている。
明暦(めいれき)は、日本の元号の一つ。承応の後、万治の前。1655年から1657年までの期間を指す。この時代の天皇は後西天皇。 江戸幕府将軍は徳川家綱。





鈴宮諏訪神社



鈴宮諏訪神社鎮座地 甲府市下鍛冶屋町342 ≫Googleマップ
御祭神 天児屋根命、建御名方命
例祭日 4月10日に近い日曜日


◆由緒

当神社勧請鎮座の年号不詳。当初鈴宮神社として勧請したが、建久年中、小瀬より諏訪神社が合祀され、鈴宮諏訪神社となる。祭典当日は、末社である天津司社より、九躰の等身大人形(国の重要無形文化財)によって、神遊の天津司舞が神前に奉納される。境内地に、天神社、三宮司神社、疱瘡神社、鹿島神社、山神社、神明神社、西之宮神社、等の末社が祀られている。

◆天津司の舞

天津司舞(てんづしまい)、または天津司の舞(てんづしのまい)は、山梨県甲府市小瀬町の天津司神社に伝わる、等身大でできた9体の木造人形を用いて田楽舞を演じる、神事芸能、伝統芸能である。中世に起源を持つ傀儡田楽(くぐつでんがく)の一種であると考えられており、地元ではオテヅシさん、デッツクさんと呼ばれる。
田楽舞は日本各地の民俗芸能として一般的であるが、人形で演じる民俗は珍しく、1960年(昭和35年)11月7日、山梨県指定無形文化財に指定され、国により1970年(昭和45年)6月8日に記録作成等の措置を講ずべき無形文化財として選択された。さらに、1976年(昭和51年)5月4日には、文化財保護法の改正によって前年1975年(昭和50年)に制定された重要無形民俗文化財の第1回指定(初回指定)を受けた。文化庁による指定種別は、民俗芸能・渡来芸・舞台芸である。
小瀬町内に鎮座する天津司神社には、神を模した9体の木造等身大人形が安置されており、1年に一度行われる祭典当日、9体の人形は赤布で顔を覆われた状態で天津司神社から、隣町の下鍛冶屋町に鎮座する鈴宮諏訪神社まで、約1キロの御成道(おなりみち、現在は一部小瀬スポーツ公園敷地内)を御幸(おみゆき)し、鈴宮諏訪神社境内に設けられた御船囲い(おふねがこい)と呼ばれる幕囲の内側で、田楽法師を模した人形が赤布の覆面を外し、ささらや太鼓、鼓などを持ち田楽を舞う。
稲作の耕作過程を模擬的に演じる民俗として、田遊びがある。山梨県内で、は少女が模擬的な田植えを行う住吉神社(甲府市住吉)の御田植祭などの民俗事例があり、天津司舞は田楽囃子を人形が行う点が特異とされている。
天津司神社の社記によると「小瀬一帯が湖沼地帯であった頃に、12体の天津神が天から降りてきて舞をして遊んでいたが、そのうちの2神は天に帰り、1神は亡くなった。あとの9神の像を造って小瀬村の諏訪神社に祀ったのがはじまりである」と伝承されている。

◆起源と語意

天津司舞は、文化年間(1810年頃)に編纂された『甲斐国志』や、嘉永年間(1850年頃)に編纂された大森快庵『甲斐名所図絵』など、近世期の地誌類に記載が見られ、江戸時代後期には上演が行われていたと考えられており、天津司神社および小瀬地区には下記の伝承が古くから言い伝えられている。
大森快庵『甲斐名所図絵』に描かれた天津司舞(嘉永年間1850年頃)
昔、小瀬の里が開けないころ、十二の神々が天から降り、湖上で舞楽を奉した。
その後、二神が天に戻り、一神は西油川の鏡池に没した。
残る九神は舞楽を奉し続け、小瀬の里が開かれた。役人が神を模して神像を作り、これが天津司の舞の始まりとなった。
舞の起源、由来については諸説あり、確定的なものはない。『甲斐国志』ならびに諏訪神社々記にも「その権輿を知らず」とあり、文献から起源を明らかにするものは存在しないが、天津司神社々記には、「建久年間(1190年 - 1199年)に、甲斐武田氏5代の武田五郎信光が、小瀬にあった諏訪神社社地に館を造るため、諏訪神社を下鍛冶屋の鈴宮神社境内に移し、諏訪神社に鎮座していた9体の神像(人形)も、移設した鈴宮神社に祀られるようになった」とあることから、9体の人形は少なくとも建久年間には存在していたと考えられている。その後、大永2年(1522年)8月27日(旧暦)に、天津司神社が小瀬に造営されると、鈴宮にあった9体の神像は天津司神社の神庫に安置されるようになったため、舞を奉納する時は、天津司神社から鈴宮諏訪神社まで御幸するようになったと考えられている。





甲府恵比寿神社



甲府恵比寿神社鎮座地 甲府市湯田1-15-13 ≫Googleマップ
御祭神 大国主大神、事代主大神
例祭日 11月23日


◆由緒

大国主大神を主神として奉斎し、昭和二十九年八月十五日設立承認を受け、出雲大社の教義をひろめ儀式行事を行い、信徒教化育成其の導の大要は造化三神の霊徳を仰ぎ、博愛慈育の神業をなされたる大国主神を敬仰して、神徳に神習い至誠をもって本分を尽し報本反始の道を完了するにある。
甲府商店街連盟が行う「甲府えびす講祭り」で頒布する御札の御神魂入れを行う。勿論神事も奉仕する。





三島神社



三島神社鎮座地 甲府市里吉町523 ≫Googleマップ
御祭神 事代主命
例祭日 10月17日


◆由緒

甲斐国社記によると勧請鎮座の由緒は不詳とあるが、本殿弐尺四寸、弐尺六寸、桧皮葺、拝殿弐間三間茅葺、鳥居高さ壱丈弐尺、社領田四畝拾六歩、社地拾弐間半に拾四間(一七五坪)の大きさであったが、明治維新に社領は上知となり、村社に列せられている。昭和二十年戦災にて社殿その他すべて焼失、戦後逐次復興し現在に至る。





神明神社



神明神社鎮座地 甲府市上阿原町1223 ≫Googleマップ
御祭神 天照皇大神
例祭日 10月16日に近い日曜日


◆由緒

社記によると桓武天皇の延暦三年国司の奉請により、伊勢より勧請し数百束の圭団を寄付されたが、武家時代となり押領されてしまった。武田信光石和に住するに及び神領を寄せられ、徳川幕府もこれを朱印状にて認め、三石六斗の神領を与へている。旧村社戦後火災にあい目下復興途上にある。

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